母子家庭で、貧困と隣り合わせの少年時代。
母子家庭で育った。常に貧困と隣り合わせだった青少年時代。 学校では先生をいつも困らせる、俗に言う不良だった。
ただ、中学校の部活で出会ったハンドボールに、のめり込んだ。 高校は強豪校に進みたい——そう考えるようになった。 しかし、これまでまともに勉強したことはない。 学校の先生にも「無理だ」と言われていた。
そんな折、友人に誘われて、ある学習塾の無料体験に参加する。 それが、後に自分が代表を務めることになるエイメイ学院だった。
「勉強したいか?
ならお金は気にするな」
最初は「無料期間だけでも」という軽い気持ちだった。 ところが、まず授業がとてつもなく面白い。 そして何より、先生たちが自分を肯定してくれた。
志望校を聞かれて、自嘲気味にこう答えた。
まあ、無理なんですけどね」
すると先生は、真剣な眼差しでこう返してきた。
頑張ったほうが楽しいぜ」
母親に頼み込んで、継続して通塾させてもらった。成績もグングン上昇した。
ところがあるとき、手違いで月謝が長らく未払いになっていたことが発覚する。 母親と一緒に謝罪に行き、分割で支払う旨と退塾の意思を告げた。 しかし塾長は、ただ一言こう聞いてきた。
「したいです」と答えた自分に、塾長はこう言った。
塾にいろ」
こんな大人がいるのか——衝撃だった。
大学進学の壁、そして地域の人との出会い。
高校進学後、比較的学費の安価な国立大学を目指し、必死で勉強した。 そして合格。
しかし、合格後に届いた学費納入通知に記載されていた額は、 とても支払える額ではなかった。
心が折れそうでした」
そんな声無き声を引き出したのは、地域の方とのふとした会話だった。 そこからさまざまな相談先や制度につながり、奨学金で進学が叶った。 大学では授業料免除を受けることができ、奨学金は実家のローン返済に充てた。
思った。
この経験が、今の活動の原点になっている。
教員を目指したが、違和感を覚えた教育実習。
「エイメイの先生たちみたいな大人が学校にいたら、学校はすごく良くなる」—— そう思って、教育学部に進学した。自分も教員になる夢を抱いた。
ところが、教育実習中に大きな違和感を覚える。 自らの過去も影響してか、問題を抱える生徒の扱いがうまかった。 彼らを教室に入れて授業をしたら、先生から「迷惑だからやめてくれ」と言われてしまった。
一生かけて自分がいるべき場所ではないなと。
そして、恩ある"母校"——エイメイ学院の門を叩いた。
1校舎から、23校舎へ。
入社時、エイメイ学院は1校舎のみの小さな塾だった。 塾長はかなり個性的な人で、入社から数年後、 「やりたいことがあるから」と、塾の運営を自分に任せたいと言い出した。
まだ大学を出て数年。「無理ですよ!」と慌てる自分に、 塾長は「いや、お前はできるよ」と取り合ってもらえなかった。
完全に手探りの中、法人化や2校舎目の展開を成し遂げていった。 七転八倒を続けながら、現在は23校舎・1,000名超の生徒が通うグループに。 代表取締役社長を経て、現在は元代表として、後進の経営者たちと並走している。
『恩送り』という、活動の軸。
塾を通して、子どもたちには貧困・不登校・いじめなど、 さまざまな問題があることが見えてきた。 入試で合格すれば幸せなわけではないことも、分かってきた。
「貧困なんかで夢をあきらめてほしくない」—— その想いで、塾内に奨学金制度などを創設した。 さらに、より社会貢献的な活動を行うため、NPO法人「教育援護会」を設立。
富士見市から委託された教育相談「若者のための学び直し相談」の相談員も、 かれこれ5年以上続けている。貧困だけでなく、いじめや不登校に悩む若者の相談を受け続けている。
人や地域には恵まれていました。
人や地域をつくるのは、教育や子育て。
私が受けた恩を今困っている人へとつなぐ
『恩送り』の気持ちで活動しています。
過去の自分と同じように、問題を抱えるケースは、 自ら視野を狭めている傾向がある。 相談者にさまざまな選択肢を提示し、伴走することで—— 「人生どうにかなるんだ、どうにかするんだ」 という気持ちを育みたい。
それが、活動の根っこにある思いだ。