業界誌「私塾界」疾風の如く

貧乏な家で育った、ただの不良だった。

塾に通えるお金もない。

それでも手を差し伸べてくれたのが

エイメイ学院だった。

塾が人生を変えてくれたと言ってもいいだろう。

だからもっと大きくしたい。

一人でも多くに「教育」を届けたい。


「勉強したいか?ならお金は気にするな」



 今思い出しても涙が出る。エイメイグループの代表・川上大樹は当時、学校で先生をいつも困らせる俗に言う不良だった。母子家庭で家庭の経済事情も苦しい。ただ、中学校の部活で出会ったハンドボールにのめり込み、高校は強豪校に進みたいと考えるようになった。しかし、これまでまともに勉強したことはなく、学校の先生にも「無理だ」と言われていた。

 そんな折、友人に誘われて学習塾の無料体験に参加する。それが、現在代表を務めるエイメイ学院だった。

 最初は「とりあえず無料期間だけでも」という気持ちだったが、まず授業がとてつもなく面白い。そして何より、先生たちが自分を肯定してくれた。志望校を聞かれ「○○高校です。まあ、無理なんですけどね」

と自嘲する川上に、先生は真剣な眼差しで「本当に行きたい気持ちがあるのなら、頑張ったほうが楽しいぜ」と言ってくれた。それから母親に頼み込んで継続通塾させてもらい、成績もグングン上昇した。

 ところがあるとき、手違いで長らく月謝が未払いになっていたことが発覚する。母親と共に謝罪に行き、分割で支払う旨と退塾の意思を告げた。しかし塾長は「勉強したいか?」と一言。「したいです」と答える川上に「じゃあ、お金は気にしないでいい。塾にいろ」とまで言ってくれたのだった。


「入社後数年で運営を任される」


 「こんな大人がいるのか! と、もう衝撃で」と語る川上。塾長だけではない。塾の先生たちはみな、生徒に一生懸命だった。「それで、エイメイの先生たちみたいな大人が学校にいたら、学校はすごく良くなると思ったんですよ」と川上。教育学部に進み自らも教員となる夢を抱いた。

 ところが、教育実習中に大きな違和感を覚える。自らの過去も影響してか、問題を抱える生徒の扱いがうまかった川上。彼らを教室に入れて授業をしたら、先生から「迷惑だからやめてくれ」と言われてしまったのだ。「これが学校の現実かと思うと、一生かけて自分がいるべき場所ではないなと」。そして恩ある〝母校〟の門を叩いたというわけだ。


 当時は1校舎のみの小さな塾だったが、塾長はかなり個性的な人で、あるとき「やりたいことがあるから」と、塾の運営を川上に任せたいと言い出した。そのときまだ大学を出て数年。「無理ですよ!」と慌てる川上に「いや、お前はできるよ」と取り合ってもらえない。


 完全に手探りの中、法人化や2校舎目の展開を成し遂げていったが、現在16校舎、生徒数1060名。結果を見れば、前塾長の慧眼がいかに優れていたかということだろう。


「エイメイを支える3つの転換点」


ここまで塾を展開する上で、転換点が3つあったと言う川上。1つは、卒業生が(講師・社員として)戻ってくる塾になったということだ。その受け皿を作る意味でも、事業規模を大きくしていきたいと言う。資金繰りに苦しんでいたとき、自分の貯金を差し出した社員までいた。

 2つ目は、単なる「学習塾」ではなく「教育学習塾」を標榜するようになったことだ。あるとき生徒たちが、いたずら心から警察沙汰になるような悪さをしてしまった。「責任をとって塾をたたむ」と言う川上に、生徒たちも泣いている。しかし保護者の「いま教室をたためば、この子たちは一生それを背負うことになる」という言葉にハッとし、自分の責任の取り方は人としての「教育」を届けることだと思い直した。

 最後は、商標を取ってまで「自学自伸」というスローガンを掲げたことだ。先生がカリスマになりすぎ、受け身の生徒が増えてしまった反省から生み出されている。目標達成に向けて自分で課題を考え、取り組み、解決することで自身を成長させ、伸びる人になって欲しいとい

う意味の言葉だ。

 そんな数々のドラマに支えられてきたエイメイと川上。しかし今でも、小さな個人塾だったころの思いは忘れていない。そこに集う生徒や社員たちのためにも、まだまだ会社を大きくしていきたいと言う。


川上 大樹 HIROKI KAWAKAMI

埼玉県出身。荒れた中学時代を過ごすが、学習塾・エイメイ学院に入塾したことから人生が変わる。そこで出会った大人たちに強い影響を受け、自らも教育の道を志すようになった。その後は自分を育ててくれたエイメイ学院に入社、若くして会社の運営を託さる。七転八倒を続けながらも、現在16校舎、1,000名超の生徒が通う塾グループに育て上げた。